母の想い
でも
母は私の事を嫌いだったわけではないと思います。
むしろ
「お母さんは姉ちゃんとなすりんを大事に育ててきた。」
と言っていましたから・・・
でも、母からの施しは・・・・
母が正しい
と思う事しか有りません。
そうでなかった全ての事は
却下
となっていたのです。
私の気持ちを受け入れてくれる事はほとんど無く・・・
母の想いは一方通行だったように思います。
母に対してそんな思いが有っても、
私は、母の事を大事にしていた
という自負は有ります。
親戚との関係が行き詰まり、
苦しい思いをしている母を目の前にすると
やっぱり
何か私で出来る形で・・・
母を元気付けてあげたい
そう思って・・・
ホテルでの食事や
温泉旅行や
海外旅行に連れて行ったり・・・
金銭的な支援もして来たつもりです。
沢山話も聞いてきました。
でも・・・・
思い知りました。
私の想いと
母の想いは
全く違っていた
ということを・・・
不平等
素直な子は・・・
学校でも
社会でも
肯定的に受け入れられます。
御多分に漏れず、
親にもです。
「お金の心配は子供はせんでいい」
それが口癖だったのに・・・
母は私を様々な場面で
その言葉に疑問を持たせるような
言動を取りました。
そして素直な姉と
じゃじゃ馬の私とでは
不平等さを感じることが多くなってきたのでした。
向き合って欲しかった
30代前半までは私も幼く
平等にものすごくこだわっていました。
でも結婚して
子供を産んで
人として様々な経験を経て・・・・
私が求めていた事は
平等ではなく
向き合って欲しかっただけ
だったのだと気付きました。
例えばお金にまつわる事
お金の心配を子供がしなくていい
いくら母がそう言っても・・・
家のお財布事情って薄っすら分かります。
友達の家に有る、エアコンやビデオが無かったり
友達の様に洋服を買ってもらえなかったり
夕飯のメニューを見たりすると
そんなのわかってる。
だけど・・・・
私の想いを聞いて欲しかった。
私が望む先に進むにはどうしたらいいか
一緒に考えて
一緒に向き合って・・・
私と親が納得する着地点に降り立ちたかった。
夢を叶えるため
私と親が、どう歩み寄ればいいのか
一緒に考えてほしい。
ただ・・・それだけを私は求めていました。
奨学金を借りる事は悪い事ではない
家にお金が無くて奨学金を借りて
結果的に希望の進学先に進んだ姉と裏腹に(勿論 姉の努力も有りました)
私の時は、
奨学金を借りる事を一方的に否定や拒否して・・・・
理由を聞いても答えてはくれませんでした。
そうする事で、親の体面を取り繕うことが出来たと思います。
なすりんには奨学金を借りさせなかった!!
という母の偏ったプライドを。
奨学金を借りて大学に進学した、なすおやじのことを
「お義母さんも可哀そうな事するな。奨学金借りさせて。」
と言ってましたから・・・・
私は本当に学びたい気持ちが有って・・・
でも奨学金と言っても借金だから
希望する業種は
キチンと返済できる程の収入を得られる業種である事
を前提に
気迫と謙虚に学ぶ気持ちが溢れていたら・・・
私は奨学金を借りる事は、
未来への投資
として有りだと思っています。
決して奨学金を借りる事は
否定的な事ではないと思うのです。
己の欲せざる所は人に施す勿れ
我が家は学費に充てるお金を1,000万ずつ準備しました。
準備したと言うより・・・
家の建て替えと学費を天秤にかけて
学費の方が重かったから、優先しただけの話です。
学費は勿論、
コスパを考えて使い切らない方法を模索はします。
予算1,000万と考えたのは大概の進学先に・・・・
心を痛める事無く進める金額だと思ったからです。
万が一なす子が
私立の薬学部に行きたい
と言った時は・・・・
1,200万まではどうにか調達して
不足分は、奨学金借りてまででもなりたい職業か
真剣に向き合うつもりでした。
結局なす子は文系だったので
取り越し苦労だったのですが。
親から一方的に志望校を拒否され、
不本意なまま進学した時に・・・
「私が結婚出来て子供も出来た時に
私と同じ思いは絶対にさせたくない!!」
そう決意したのが懐かしく思い出されます。
己の欲せざる所は人に施す勿れ
この精神を構築できたのはこの頃だったのですね。
この記事を書いて思い出しました。
この件は一部にしか過ぎず・・・
この「母の思い込みを押し付ける」
事は日常茶飯事でした。
私が
母さんとはもう無理だ
そう思ったのは・・・
なす子となす太郎絡みの事がきっかけでした。
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