私は母から縁を切られても平気です
昨日の記事で、
母に縁切り通告された件に触れました。
縁切り宣言されても冷静な自分がいます。
辛くも悲しくも申し訳無さも、何も無いです。
須くショックを受けるべきなのでしょうが。
私の事をとんでもなくひどい娘だ!!
思われた方もいらっしゃったでしょう。
ショックで悲しいのが普通ですよね。
痛くも痒くも無いなんて・・・・
すごい他人行儀で親への思いやりの欠片もない娘
って映っても、何の不思議も有りませんよね。
平気になるまで50年かかった
平気でいられるようになるまで、50年かかりました。
50年かけて、
自分の母親から「縁切りだ!」と言われても・・・・
冷静でいられるようになったのです。
それまでは・・・・
私は本当に泣いてばかりでした。
母から、全否定されてきたので。
母に認めてもらいたい
その一心で、
50年間過ごしていたように思います。
栗花落カナヲの気持ちがわかる
鬼滅の刃に出てくる「栗花落カナヲ」・・・・
カナヲの気持ちがわかるような気がします。
カナヲは
貧乏人の子沢山でネグレクトの親から育てられました。
(ここまで母はひどくないですが(^_^;))
「辛い」「悲しい」「痛い」「お腹がすいた」・・・
等の感情が有ったのですが、
ある日糸がプチって切れてからは
何も考えなくなった・・・・
あの、カナヲです。
あの「プチっと切れる感」
それがわかるのです。
私も、音が聞こえましたから。
「プチっ」て。
糸が切れたのは、16年前
今でもその光景は鮮明に覚えています。
糸が切れてからも、しばらくは泣いてましたね~。
感情のコントロールって簡単ではないのですね。
それまで・・・・
35年以上、母の事が大好きでしたから。
血族の関係?かな。
母に全否定されようが・・・・
ずっとずっと母の事が大好きだったのです。
社会人となり・・・
お金に余裕が出てきてたら・・・
とにかく母を喜ばせたい
少しでもストレスを軽減してもらいたい
そればっかり考えていたな。
立場が弱かった16年前
フル勤務だったので、
幼稚園生の子供達の面倒を見てもらいたかったから
立場が本当に弱かったです。
何でも母の言う事を聞かないと
後が恐ろしすぎたので・・・・・
母の言う事を盲目的に受け入れざるを得ない状況でした。
でも、
まあ母は目の手術したりで・・・・
もう嫌になったのでしょうね。
孫を見るの。
私は看護師です。
母の病状的に、
孫を見れる状態か否かわかります。
3年間の育休がもうすぐ明けて職場復帰という時に
「孫は見れない」
と言われて本当に困り果てました。
母の力が絶大だった頃の事です。
フル勤務を辞めるまで続く弱い立場
職場復帰した時、
お手伝いさんを頼みました。
当該県には
「ファミリーサポート」
なる制度が有ります。
子供の面倒を見てほしい人が
子供の面倒を見たい人に
仕事や用事がある時に
報酬を払い子供を見てもらう制度です。
ウチの界隈は40年前に区画整理され、
造成された地域です。
なので、親と同じような高齢の人達ばかりで
サポーターがいない地域でした。
それで、
色々調べて・・・・
お手伝いさんにたどり着きました。
お手伝いの方にも限界があります。
子供が病気や台風の時は見てもらえませんでした。
急に幼稚園をお休みするよう事が有ったら、
母にお願いしなくてはならないかもしれない
という危惧が常に付きまとっていたからです。
フル勤務を辞めるまで、
母に対して本当に弱い立場だったと思います。
母から急に子供の面倒を見ると言われる
職場復帰1年後に
突然母から、面倒見てあげる!
と言われたのですが・・・・
なす子だけですΣ(・□・;)
なす太郎は見ないと言われたのです。
長くなったので
前編と後編に分けますね。
読んでくださる方は・・・・
もうしばらくお付き合いください<(_ _)>
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