昨日の続きです。
天国言葉
斎藤一人さんってご存じですか?
「スリムドカン」という商品が代名詞の「銀座まるかん」の社長さん。
全国高額納税者番付が廃止された2005年まで、10位以内の常連でした。
最近、私はこの斎藤一人さんのYouTubeをよく聞いています。
聞いている・・・と言うのは、ユーチューバーが一人さんのカセットテープを動画にしているのからです。
斎藤一人さんは「愛してます・ツイてる・うれしい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します」を天国言葉と言われます。
そしてこの言葉を1日1000回唱える事を推奨しています。この言葉を唱えると、その言葉通りになっていくというのです。
その謳い文句が本当かどうかは別にして・・・この8つの言葉はどれも素敵な言葉です。
この言葉は全て気分を良くしてくれる事に繋がるからです。
許すという言葉も・・・・
許すことで胸のつかえが取れ、結果的には気分を良くしてくれると思うのです。そして、これが一番私達にとって難しい事なのだと思います。
先日母に話したことはこの「許す」という事についてです。
世間話の中で・・・
先日、世間話の中で又出たのです。
「なすりんとお母さんは違う。お母さんは子どもの時からずっと居場所が無かった。ずっと我慢して、結婚生活も一銭無しで始まったからずっと尾を引くんや。」
ちょっと待って。母さん。結婚って56年前の話なんですけど。居場所が無いのは70年以上前の事でしょ?
70年以上前にされたことをまだ根に持っているのです。正直、怖いです(-_-;)
でもね以前なら物凄く鼻息が荒かったのに、力無気な印象でしたけど(^_^;)それが私には汐らしく映ったのです。
母の生い立ち
私の心の中で母に対しての想いは決してきれいな物ばかりではなく・・・・沢山の想いを処理してここまで来ました。処理できたのはごく最近です。
振り返ればこのブログ・・・・母の事ばかりです(^^;) 看護師の卵ちゃんの事なんて、ここ2年ぐらい全く触れていません(^^;)
ブログの紹介文変えるべきだと思っています。思っているけど・・・・本当は書こう書こうと思っているので、そのままにしているのです(言い訳(^_^;))
おっと、話が横道にそれてしまいました。そう。ブログは母の事ばかりです。
・・・・前も書いたと思うですが、母は出自は決して恵まれた物ではありませんでした。
祖父は戦地から帰って来て直ぐに、5人の子供を残して病に倒れました。
そこからは貧しい生活を余儀なくされ、高校に進学する事は叶いませんでした。
幼い頃から我慢の連続で長兄と末の妹だけ特別大事にされ、残りはぞんざいに扱われたと話します。
中学卒業して、夜行列車に乗り金の卵として大阪の松下電器(パナソニック)に就職したと語ってくれたのは私が随分大きくなってからです。
深意無く「母さん、高校は何処に行ったん?」と聞いても、話をいつもはぐらかされていたので、中卒を知られたくなく母のウイークポイントだったのだと思います。
その他母の兄弟とのエピソードが本当の事だったら、びっくりすることだらけでドラマや一冊の本になるのではないかと思うぐらいです。
その件については、母の名誉の為にここでは言及しないでおきたいと思います(^_^;)
許せない人が沢山いる母
これも前に言ったかと思うのですが、母は許せない人が沢山います。私が知っている人だけで10名以上(^_^;)
その殆どが兄弟や親戚です。
母は先ず否定から入る人です。自分の考えと違う人は「間違い」の烙印を押します。
自分が正しいと思って疑わないのです。
そして自分の思い通りにいかないのは相手や環境のせいにしていました。問題の本質に向き合わないのです。
そして、それに違和感を感じそのことを指摘するとすぐに言い訳をしました。
「なすりんはそう言うけど、お母さんは小さい頃から貧乏だったし座布団が無く(居場所が無かった)、一銭も無い状態で結婚生活が始まった。それがずっと今でも尾を引いているんだよ。」(本日2回目(^_^;))
この言葉が母の常套句です。
この言葉、もう何回聞いたかわかりません。
恨んで許していない親戚達への「恨み節」を語る時、何度も聞いていて「もう知ってるし、暗くなるから聞きたくない。」と言ったら必ず出てくる言葉でした。
過去の事実は変わらない
私も母から全否定され続け、15年ぐらい前から母に対して嫌悪感が芽生え疎遠になっていました。
15年って結構長いですよね(^^;)でも、母は70年以上伯父や伯母に対して恨んでいます。ヤバくないですか?70年以上って・・・・(^^;)
でも私は悟りました。過去も他人も変えられないから、怒ってもしょうがないという事を。
過去も人も変えることは出来ない・・・そんな事誰しもわかっています。でも私は、心からその意味を受け入れることが出来たのは本当に最近なのです。
そして、その変わらない相手をしょうがないと受け入れるという事が「許す」という事なのだと思います。
言葉にしたらこんなに簡単な事ですが、実際に嫌悪感を抱いている人を受け入れるという事は並大抵のことではありません。
許すチャンスをモノに出来るか否か
私も母も「許す」チャンスを頂きました。病気です。
以前も書きましたが、私は2年前に癌検診で引っかかた時・母は15年前に乳癌で手術をした時が「許す」チャンスだったと思うのです。
許すチャンス=考えを改める機会だと思うのです。
私が癌検診で引っかかったのは「母に対しての負の想いがいけない事ですよ」と神様が教えてくれたのだと思い、母に謝りに行きました。
そう気付いてもすぐに素直に誤りには行けませんでした。色んな思いが去来して・・・不本意な気持ちを無理やりかき消し「母への無礼(疎遠)をした事実」は有ったのでそこをだけを念頭に置いて謝りに行った記憶が有ります。
そこからです。
私に幸せばかり訪れるようになったのは。嘘のような本当の話なのです。
そして何よりも体や気持ちが楽になりました。ストレスを抱えなくていいので。
せっかくのチャンスを母はモノに出来なかったのです。結果的に許せなかった母は過去に引きずられて恨み辛みの中で生きているのです。
引きずられた過去から這い上がる
「過去に引きずられとったらいつまでたっても幸せにはなられへんで。」
「母さんは私が母さんの事を許せない時にこう言ってたよね。なすりんに一生謝り続けないといかん(ダメ)ねんな!(逆切れ)」
「亡くなったおばあちゃんもおじいちゃんも思ってるで。母さんにいつまで謝り続けないといかんのやろうって。」
「母さんは本当に色んな辛い思いしたと思う。でも、その辛かった想いを手放さへんかったら幸せにはなられへんで。」
「過去は変わらへんねん。しょうがないねん。他人も変わらへんで。それもしょうがないねん。でもな、それを真の意味で受け入れたら、きっと母さんの思う通りになると思うで。ほんで、その時は他人から見ても母さんは絶対幸せやで。」
そんなような事を言いました。引きずられ続けてきた過去から這い上がってほしくて・・・そうすると
なすりんの言う通りだと思う・・・・と初めて肯定されました。
肯定される事を求めていた昔の私とはもう違います。今は、母が私と過去の呪縛から一緒に這い上がり真の意味で幸せを感じてほしいと願う事でした。
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