若者とクスリ・タバコ
息子の同級生で喫煙している人が結構いるようです。先日も一緒に遊ぶ友達がタバコを勧めてきたそうです。
「街では簡単にクスリも手に入るって聞いたよ。スケボしてる人は結構クスリに手を出している人が多いよ。だから俺はスケボしてるヤツとは距離置いてる。」続けて息子がそう話しました。
最近は怖いですね~。そんなこと全然知りませんでした。おばちゃんは全然情報入ってこないからね。そんな世の中になっているとは・・・恐ろしや~。
「でも、俺、じいちゃんの遺言を言ったらみんな引くよ。あ、ゴメン・・・って今日も言われた。」そう語っていました。
父とタバコ
ヘビースモーカーだった父は一日2箱吸っていました。今も有るのかな~。「峰」って銘柄です。シルバーのパッケージに大きく黒字で「峰」って書いてありました。
これを鮮明に覚えているのは、私がお使いをよく頼まれたからでした。お使いの中に「峰」も入っていたのです。
父は病気になったのはこの「タバコ」のせいだと思っていました。私はタバコだけじゃないと思っていますが。(母と祖母・親戚との板挟みとなりストレスもかなり有ったと推測されます)
父は何度もタバコをやめようと思ったのですが・・・・最高1カ月でしたね。禁煙続いたのは。
父は脂肪肉腫(癌のようなもの・悪性度が高い)を患い、肺や脊椎に転移していましたが最後まで隠し通しました。母が「癌って絶対に言わない方がいい。」と言い張ったし、姉もそれに賛成だったので。
告知して肉腫に向き合い痛みを一緒に乗り越えよう。知らないふりをするのは楽だよ。でもそんなの父さんが可哀そうすぎる。家族が本当の事言わないなんて。猜疑心の中で旅立ってしまう事になるかもよ。父さんのやり残したことも有るかもしれないよ。
想いを込めた私の言葉は母の言葉で一蹴されました。「ホンマの事言ったらお父さんはダメになる。」って。
でも・・・・日に日に衰えていく自分の姿を考えると、余命いくばくもない事は父自身が一番よくわかっていたのだと思います。
そして私達の知らない所で何百回も何千回も思ったのだと思います。
もし、タバコを吸っていなかったら・・・もしタバコを止められていたら・・・・・もし、もし、もし・・・・って。
父のなす太郎への遺言
前にも書いたかもしれませんが、息子への遺言は「なす太郎、タバコ吸うなよ」でした。
2歳だったなす太郎は覚えてているはずありません。私がなす太郎に事あるごとに伝えていたのです。
その影響なのか、私の嗜好を引き継いだのか・・・なす太郎はタバコの香りを嗅ぐだけでも気分が悪くなるようです。
「父の遺言」という隠れ蓑で今までも・・・きっとこれからもタバコの煙を避けて生きていけると思います。
これって・・・父がなす太郎の事を守ってくれてるんだと私には見えました。「じいちゃんが守ってやるぞ。」と言わんばかりに。
「タバコを止めたくても止めれなかった残念な思いを、体に悪いタバコから可愛い孫を絶対に近づけさせたくない。」そう思って、なす太郎の健康を守ってくれていたんだね。
私には最期の言葉は無かったけど・・・・・父の暖かい想いに気付いた瞬間でした。早速願いが叶ったのかな(⌒∇⌒)
「お父さん、ありがとう。」・・・・そう言えばあと数日で6月。父の日の月だね。
父との思い出こぼれ話:口裂け女編(笑)
思えば何でも私に頼む父でした。姉に頼んでいる所を見たことが有りません。
父のお使いだけでなく、夜などインスタントラーメンやサンドウィッチを作ってほしいとよく頼まれましたね~。母ははっきりと作ることを拒否していたので(^_^;)
毎週日曜日になると必ず「報知新聞」を買いに行かされました。父は野球と競馬が大好きだったからです。G1だけでなく、梅田の場外競馬に行ったり・・・仁川の競馬場のパドックには姉と連れて行ってくれた思い出が有ります。
昔、口裂け女ってのが流行った時、小学生だった私は報知新聞を買いに行くのを頼まれた時にあまりに恐ろしくて「行きたくない」と言ったら、「そんなんやったら、学校も行くな!」ってキレられました。
あ、父の名誉の為に言っておきますがキレる事って殆ど無かったです。多分、父の虫の居所がたまたま悪かったのでしょう(^_^;)
でも、幼なながらに理不尽感が否めませんでしたね~(^_^;)
いつもお使いややってほしい事を私だけに頼み、それを「怖い」という理由で断ったらキレられ、頼まれない母と姉は我関せずだったからです(-_-;)
で、結局行きましたよ。お使い。代わってくれる人いないし。自転車ぶっ飛ばして行った事を今でも鮮明に覚えています。
そんでもって出ませんでしたよ、口裂け女。当たり前か(;’∀’)
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