今年の元旦
今年の元旦は、とってものんびりしたものでした。
おせち料理を結婚して以来、初めて作らなかったからです。
子供の頃の年末年始の思い出
私の母は、日本の文化を大事にしてくれる人でした。(まだ生きてます)
私が子供の頃・・・年末は父と姉と三人で大掃除をし、
母はおせち料理を作ってくれていました。
大掃除で一番好きだったのは「障子の張り替え」です。
張り替える前の障子におもいっきり絵を描いて遊んでから、
霧吹き(若い方はわかるでしょうか?)でびしょびしょに濡らして上から棒に巻き付けて
古い障子紙を取る作業がとっても楽しかったからです。
夜はレコード大賞(当時は31日に有りました。)を見た後に、
紅白歌合戦を見ながら年越しそばを食べるというのが恒例でした。
その間も母はひたすらおせち料理を作っています。
元旦の朝、母以外は着物を着ます。
当然私は子供なので自分で着れないので、母が着せてくれます。
正座して新年の挨拶をしてからお年玉をもらいます。
それからお屠蘇を飲み(子供でしたが無礼講でした。お正月なので。でも、ちょびっとですよ。)お重を開けます。
母が丸2日かけて作った豪華な手料理が綺麗に詰められていて、
幼ながらに「食べるの、もったいないなあ~。」と思ったものです。
一日は何故だかわかりませんが、「十日恵比寿」に初もうで。
ウチは自営業でもなんでもなかったのに(笑)。
これは私の推測ですが、当時は祖母(父の実家)へ多額の仕送りをしていた為に裕福ではありませんでした。
加えて母はものすごくゲン担ぎをする人だったから・・・お金を恵比寿様に持って来て欲しかったのでしょうね(笑)。
しかしあの「商売繁盛で笹持って来い来い~」のフレーズが小学生の私の「笑いのドツボに嵌った」事が思い出されます。
本当に懐かしいです。
初もうでが終わり、家に帰り年賀状を一通り見た後は・・・・家族で「花札」です。
(もう時効です。許してください(笑)。)
我が家では「お正月だけは家族で花札をして良い」という暗黙の了解が有りました。
加えて両親は子供の頃、よくトランプやボードゲームをしてくれました。
とにかく負けず嫌いな私は闘志むき出しで、
血も涙も無く勝つことだけに専念していた記憶が有ります。
現在、定期預金は1万円しかなく殆ど保険や投資につぎ込んできた精神は子供の頃に培われたのでしょう(笑)。
こんな子供時代を過ごしていた、ギャンブラーの素質十分な私だったので(笑)。
本当に懐かしい・・・・
節分は父が鬼になり豆まきです。
会社から帰ってくる父を玄関で待ち受けているのが恒例でした。
母は恵方巻を作ってくれてイワシを食べ、軒下にイワシの頭を下げていたものです。
ひな祭り。
ひな人形は持ってませんでしたが、母の「押絵」を額に入れて飾り、散らし寿司と蛤の吸い物を作ってくれました。
その他・誕生日やクリスマスは勿論、「子供の日」や「七夕」などなど母は日本の文化を本当に大事にしてくれました。
大切な日本の文化
・・・のんびりなお正月だったからこそ、思い出せた私の宝物。
それぞれの日本の行事には意味が有り想いも有ります。
その一つ一つは愛がこもっており、日本人だから理解出来る文化ばかりだと思います。
その文化を沢山の人たちが繋いでくれて、私たちの世代が受け継ぐ時期に来ていることに気付かされました。
なす太郎は年越しから元旦の夜まで友達と過ごし、なす子はコロナで帰省出来ず、なすおやじも単身赴任先で仕事です。
「どうせ誰もいないし、おせち料理作らない!!」って決めた時は一気に気が楽になり「良かったわ~。」
って思ったけど、
今回私の宝物を手に取ると・・・「来年は、やっぱり絶対におせち料理作ろう・・・。」と思う事でした。
そう思うと、床の間のお餅と正月花が私に微笑みかけてくれているような気がしました。
みんなで守りたい 日本の文化
日本に生まれたら、日本の文化を継承するのは当たり前の事です。
その当たり前のことが難しくなってきています。
それでも個人個人で自覚を持ち、この素晴らしい文化を絶やすことなく子供世代に引き継げるように努力したいな・・・
と思った一人ぼっちの元日の昼下がりでした。
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