なんか宗教臭くなってしまうかもしれないのですが・・・やっぱり言霊って有るわ~って本当に実感する今日この頃です。
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書いてるときにしみじみ思いました。言霊ってやっぱり有るって。⇩⇩⇩でも言いましたが(^_^;)
ウチは癌家系
突然ですが・・・・母は15年前に癌を患いました。乳癌です。
もうね、ウチは癌家系でね・・・・
母方の兄弟で癌でないのは叔母さんだけで、伯父は直腸癌、伯母は肺癌、もう一人の伯父は胃癌、そして母が乳癌。
おまけに言うと母方の祖母は悪性リンパ腫でした。まあ80歳過ぎていたから細胞の劣化に伴う変異による癌化かもしれないのですが。
父も悪性の肉腫だったし、、、、、ウチはどんだけ癌家系なのでしょうか(^_^;)
母が乳癌なので、私も50%の確率で乳癌遺伝子を持っています。そう言った意味では・・・なす子に申し訳なく思ってしまいます。なす子も25%の確率だからです。しょうがないですけどね(^_^;)
そう言えば、かの有名なアンジェリーナジョリーはこの遺伝子を持っていたから乳癌と診断されたわけじゃないのに両胸切除し再建手術をしたとニュースで昔出ていましたよね~。
寿命が延びると癌は増えて当然だし、ストレスだの体に悪い食生活(欧米化)だので本当に癌は増えていく一方だと思います。
ウチは癌家系ですが、癌家系でない方もいつそうなるかわかりません。正しい生活習慣を身に付けたいものですね。
乳癌と診断を受けた母
父が亡くなって2年した頃、「右胸にしこりが有るねん。病院に行ってくるわ。」と母に聞かされました。
その頃は、母から全否定され続けもう傷つきたくないという一心で実家には殆ど行かなくなっていました。
闘病中・・父の時には一生懸命に向き合ってきましたが、3年間の育児休暇も明けフル勤務だったのも手伝って母の付き添いは数える程でしたね。
で、しこりの検査結果が出るという日は仕事が終わって実家に直行しました。
私:「結果、どないやった?」
母:「ダメやった。手術せなあかん。」
私:「そっかー。」
母:「忙しかったから検診に行かれへんかったからな。毎年行ってたのに。忙しすぎて去年は行ってないから。2年も空いてしまった。」
私:「・・・・・」
この時の私の正直な気持ちは「母から責められているのかな」でした。なす子となす太郎を一時見てもらっていた時期が有ったからです。
子供達の世話で自分の検診に行けなかったんや・・・・そう聞こえました。私の被害妄想でしょうか・・・・。
娘だったら親の事だし凄く心配するのが普通でしょうが・・・・私はあまりに傷付き過ぎて、母に対して寄り添う事が全く出来なくなっていました。
「しこりが有る」って気付いてすぐ受診したじゃん。検診に行かなかったのはなす太郎となす子のせいなの?・・・・言葉にこそしませんでしたが、これが私の正直な気持ちでしたね。
なす太郎出産までの数カ月と復帰後1年弱
育休明けた時に「子供達を見てくれる」と母は快諾してくれていました。母には感謝しか有りませんでした。
なす子より7歳上の甥っ子は夜中のミルクやおむつ交換、夜泣きをしたら朝まで抱っこをしてあげ、中学生までのお弁当や小学生までの学校行事(姉は教員なのでしょうがないです)は全て母が担っていたのです。
その時に母にいつも言われていました。「なすりんの時も同じようにしてあげるから」って。
私の中では母は年だし、子供をの面倒を見るのは大変で丸投げは申し訳ないと思いました。でも、仕事復帰するには誰かしらの手を借りなくてはいけない時が出て来ます。
もちろん家庭環境は人それぞれ違います。それぞれの家庭環境に向き合い、お互いの落とし所を決めて支援を依頼するのが一番だと思うのです。
だから母は気付いてないかもしれませんが極力、子供の面倒をお願いしないように努力しました。
シフト勤務なので平日2日休みの私、暦通りお休みだったなすおやじ。だから週3日から4日母に子守りをお願いしていたのです。
小さい子供を連れて買い物に行くのは大変で、母に1時間でも子供を見てもらえればどんなに楽だろうといつも思っていました。
なすおやじもたまには釣りやゴルフ、パチンコに一日中行きたいと思っていたし、なす太郎妊娠中の私を見て「お義母さんにお願いしたら?」と言われても「ダメ。母さん疲れてるから。」といつも言っていました。
そんな理由で母に頼むのはおかしいと思ったし、母は私よりも年だし子守りは大変だから。
日頃孫の世話で大変な思いをしているだろう母に、これ以上頼むのは申し訳ないと常日頃思っていたからです。
でも乳癌になる1年前に、母の方から「もう面倒見れない。」と言われました。黄斑円孔という目の病気で手術をしたからです。
私は看護師です。それが無理な状態だったらわかるし、自分から申し出ます。「今までありがとう。」って。
でも、そうじゃなかったから・・・・その時母には色んな思いが去来しました。そんな事を思い続ける暇は無く、ベビーシッターを探す為に奔走しましたね~。懐かしい・・・・
ダメになったのは母の方
父が亡くなり、黄斑円孔で手術した1年後に母は乳癌になり手術しました。右胸全摘です。
手術当日は、さすがに付き添いました。仕事休んで。面会には毎日は行きませんでしたけど。心が伴わなかったので。
「顔つきが一番悪い癌」そう先生は病理結果を説明しました。悪性度が高く、ホルモン療法は適応とならず抗癌剤と分子標的薬の治療が開始されました。
母は癌=すぐ死ぬと思っていたようです。父がそうだったので。
手術の後、定期受診をとても怖がるようになりました。「再発しとったらどうしよう。」という不安があるからです。
その日「再発は有りませんでしたよ。」と言われても、次の受診までに再発したらどうしようと不安で不安でたまらなくなったようです。結局、常時再発への不安に苛まれていたのです。
母の気持ちを知っていましたが、この通院にも数える程しか付き添いませんでした。母から出る「恨み辛み・不満の言葉」に耐えられなくなっていたのも有ったからです。
不安で不安でたまらない母はそのうちに鬱になってしまいました。
たまには心配で実家に行ってみると夜なのに電気も付けず真っ暗でびっくりして「母さん!!」と大声で叫ぶと・・・
イモムシのように毛布に潜り込んでいて・・・・顔だけ出して「ここよ~。」と力無げに返事しました。
Σ( ̄□ ̄|||)
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こんな母さん見た事無い。何か目がおかしいよ。これは鬱かもしれん。病院に連れて行かなくちゃ。
で、姉と二人で精神科・心療内科を標榜する病院に連れて行きました。診断はやはり「鬱」でした。
父が悪性の肉腫を患った時、告知すると「ダメになる」と判断して告知しないと母が決めました。
でも、実際は母の方がダメになっています。癌と知って鬱になりダメになってしまったのです。
父は最期まで泣き言一つ言いませんでした。毎日面会に行き「じいちゃん、調子どう~?」と聞くと(本当の事を言ってないので差しさわりの無い事しか言えませんでした(´;ω;`))、「こんな調子じゃ」と毎回返ってきました。
本当に強かったのは父でダメだったのは母だったのです。
言霊は有る
ダメになるという言葉を何度も言っていた母。言葉通り、母自身がダメになってしまいました。やっぱり言霊って有ると思います。
更に私は今回の事を通して学びました。「他人の欠点に気付き嫌悪感を抱いた時、自分の中にもその欠点が有るかもしれない」という事を。
その事を神様が「嫌悪感」という形で教えてくれているのかもしれません。
私は母に対して沢山の嫌悪感を抱いてきました。今度はなす子やなす太郎にそう思われる事になるかもしれません。鏡の法則的思考をすれば。
でも、その時は自己責任として受け止めます。そして、今からはそれが少しでも軽減するように感謝想起で過ごしていきたいと思う事でした。
追伸:母はすこぶる元気です。でも、まだ鬱だと本人は思っています(^_^;)
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