褒めることは難しい
以前、こんな記事を書きました。
1年前の私ってこんな事を考えていたんだね。褒めるって簡単に見えて実はとっても難しい事だよね。
こんな大口叩いておきながら、自分だって褒めてほしかったのに・・・実際は出来ていませんでした。なす子に「お母さんは褒めてくれない!」って言われても・・・それでも変わってなかったって今改めて思います。
平等も難しい
私はずっとずっと姉妹間の不平等さを感じながら生きてきたので、「自分に子供が生まれたら、絶対に平等に育てる!!」をモットーにして子育てをしてきました。
そう思ってることを、学生時代の同級生に話したときに・・・「親はそう思っても絶対に平等になんて出来ないよ。本当に難しいことだよ。」と言われました。
その当時私は傲慢にも「私にはきっと出来るはず。だってずっとそれで悲しい気持ちになっていたから・・・親から平等にしてもらえなかったからこそ、その痛みが十分にわかるから。」
言葉にこそしませんでしたが、心の中ではそう呟いていました。
先日、やっぱりそれは出来ない事だったということを思い知らされました。
それはなす太郎を褒めた時に気付かされましたのです。
なす太郎は5教科の勉強が全く出来ませんでした。言い訳のように「はっきり言って高校までの勉強には意味を感じない。今(理学療法士を目指しています)は自分の目標に向かっての勉強だから楽しい。」と言っています。
中高のなす太郎は勉強が出来ないにも程があるでしょ!!って言いたくなるような点数しか持ってきませんでした。具体的には・・・・息子の名誉にかけて内緒にしますが(^_^;)常時クラスでビリから5番以内でした。
現在在学している学校も一般入試なら確実に不合格だったでしょう。娘:なす子の受験を踏まえ「指定校推薦」という素敵な制度を知って、初めから推薦狙いでした。当県に理学療法学科を有する専門学校は4校有ります。その中で、一番ハードルの低い評定3.5以上という学校にしました。(なすおやじと3人でオープンキャンパスにも行って、校風がなす太郎に合っていたというのも重要な選定理由でしたが。)
そんななす太郎が前期のテストの結果について「赤点は4つ有った。」
という報告が有りました。全然ダメじゃん!!と言うと
「でも高校は平均点数の半分以下が赤点だったけど、今は難易度に関係なく60点以下が赤点になる。高校のような低い点数は1枚も無い。俺にとってはそれだけでも凄いことだから誉めてよ!」
と返ってきました。
「・・・本当だね(^_^;)その通り!! 頑張ったね。」
そう言葉にする自分がいました。自分の思う通りに事が運ばなくても「しょうがない」と思えるようになっていたから、そう思えるようになったのだと思います。
この「しょうがない」と真の意味で思えるまで・・・本当に長い年月がかかり色んな思いをして、周りを巻き込んできたように思います。この「しょうがない精神」をもっと早くに習得していたら・・・もっと楽しい子育てだったんだろうなと思うことでした。(タラレバなんて無いのにね)
このことをきっかけに些細なことでもなす太郎に褒めてあげることが出来るようになりました。なす太郎18歳。これまで殆ど褒めてあげなかったな・・・
なす子は・・・遠く離れた場所に居て、直ぐに話が出来る環境ではありません。なす子は学生ですが、毎日サークルやバイトなどで多忙を極め殆ど連絡は来ません。
なす子はなす太郎と比較にならないぐらい頑張っていたのに・・・全然褒めてあげれなかったな・・・申し訳ないな・・・
親も成長の過程
子育てをする中で全てを平等にするということは、無理だと学びました。それは人は成長するからです。
その時に最善を尽くしたつもりでも、振り返ると「なんて浅はかだったのだろう。」と気恥ずかしくなったという経験をした事は誰しも有ると思います。でもその時はその時で一生懸命その壁と向き合い、どうしたらその壁を乗り越えられるか真摯に考え抜いたと思います。
経験を重ねながら私達は生きていきます。失敗しながら学びその時の最善を生きていきます。当然長子のなす子の時より次子のなす太郎の時の方が、沢山の経験を踏まえ沢山の壁を乗り越えています。
本当に平等を求めるのであれば、その時の最適解がわかっているのに時間を遡りその当時の至らない考えの元子育てをしなければなりません。そんなことが現実的に出来るでしょうか?言うまでも無く出来ないですよね。
これから出来る事
平等は無理。
だけれどもなす子に「申し訳なかった気持ちを形に変えることだけは出来る」と思ってます。その時の事を正直に吐露して謝る以外に。それを償いの形にしてなす子には届けようと思っています。
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