昨日の続きです。
甥が高校1年生の時に、母は乳がんを患った後、鬱になりました。
それまでの母は、、、
自分軸で物事の良し悪しの判断をしていました。
そして常に自信満々で自分は100%正しいと思っているのが有り有りとしていました。
生活面については、昔放送されていたみのもんたさんの「おもいっきりテレビ」を見ては体に良いと紹介されたモノを摂っていました。
母の友人が子宮がんになった時、「大丈夫よ〜。気にする事無いって。」と声を掛けていたのを思い出します。
母は根拠の無い自信がいつも有りました。
自分はこんなに健康管理に注意しているのだから、病気には絶対にならないと。
ずっとずっと健康でいられると信じて疑わなかったのです。多分。
自分は健康の為にこれを食べてる・これを飲んでる・こんな体操をしてると私にアピールする事が多かったので。
父が亡くなった時、母はそんなに悲しんでなかったと思います。
「早う1人になりたいわ。」
が口癖でしたから。
それに父が亡くなった後に色々と事務処理などをしている時にびっくり発言をしたので、父に対しての想いは薄かった様に思います。(このびっくり発言については又今度聞いて下さいね。)
父の最期の言葉「母ちゃん、ごめんな。」に対して、「いいのよ。」だけでしたから。
いやいや、いいのよだけじゃないでしょ。
父さんはおばあちゃんと母さんの板挟みのストレスで病気になったんだと思うよ。
父さんへの最期の言葉はごめんと有り難うしか無いでしょ?と思いました。
あ。話が横道に逸れましたが、父を亡くしたショックで鬱になったのではないと言いたかったのです。
これはあくまで推測ですが、自分が病気になるはずがないと思い込んでいた根拠の無い自信を根幹からへし折られてしまったからだと思っています。それまでか鼻息荒く自信満々だったので。
随分後になって聞いた話ですが、父は悪性の肉腫と診断されて約1年で旅立ったので、母もそうなると思い込んでしまっていたそうです。
そんなのもあって鬱になった母の鼻息の荒さは見る陰も無くなりました。
その当時私は職場復帰をしていましたが、母の目の手術を理由に私の子供達の面倒は見れないと言ってハシゴを外されて途方にくれていた時でした。(結局母から切り捨てられ、お手伝いの方に来ていただきました。)
一方、甥への対応は一切変わらずでした。甥の友達を迎え入れたりお弁当を作ってあげたりしていたのもあって、私は釈然とせずに心は荒んでいました。
そんなのもあって、私は実家に足が向かなくなっていたのですが、姉から
「家に帰ったら真っ暗でさ、お母さーんお母さーんって探して居ないのかなって思ってたら、リビングに居たんだけどさ。毛布をミノムシみたいに被って顔を少しだけ出して、ここよ~って元気無く答えてびっくりした。」
と聞いたので、これはただ事ではない。鬱の始まりだわ。と思ってその旨姉に伝えて、姉と2人で母の病院受診に付き添いました。
診断は鬱でした。やっぱり。
薬を飲み始めたましたが、鬱は改善するどころかむしろ酷くなっていく様に見えました。
一日中暗い顔をしてネガティブな発言ばかり。
風呂にもあまり入らなくなりました。
今まで元気一杯だった母が鬱になって家中が暗くなってしまい、まだ16歳だった甥はその息の詰まる様な生活にストレスを感じる様になっていると姉から聞かされてはいました。
そんなある日、姉から電話が有りました。
「私な、M(甥)を3階に連れて行こうと思ってるねん。」
私はびっくりしました。え?今?母さんがこんな時に?ちょっとそれって薄情じゃない?
そう思わずにいられませんでした。
続きます。
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