昨日の続きです。
自分は始めからこうじゃなかった、、、。
その言葉の通り、母の態度は明らかに変わっていきました。
父への態度より、先ず変わったのは祖母からでした。
祖母というより、、、
叔母の態度が気に入らず、それを容認している祖母に対しての嫌悪感が、始まりだったように記憶しています。
当時、祖母にとって末娘である叔母の子供2人を預かってました。
叔母が仕事をしていたので。
叔母は旦那さんの家業を手伝っていました。
私が中学生の頃はまだ1店舗しか無かったのに、一代で急成長を遂げ現在では他都府県にまで事業を広げ多角経営する程になりました。
そんな訳で、叔母は従兄弟を迎えに来るのは夜の10時を過ぎる事もザラに有りました。
母はこちらに帰って来て、パートに出始めました。
その当時、親戚のおばさん(曽祖母の妹の子供)も同居していてました。
曽祖母がおばさんの幼少期に引き取って以来ずっとです。おばさんは50歳ぐらいでした。
そのおばさんと母と2人で、家事と従兄弟の世話をしていたのですが、、、
そのおばさんは同居し始めて3年後に亡くなってしまいました。
その頃からです。
母が叔母や祖母に対して、私達に文句を言うようになったのは。
同居を始めた時は祖母は66歳でしたが、それまで殆どの家事をおばさんがしていました。
祖母はというと、、、
母が言うには
「ばあちゃんは、テレビのお守り(オモリ)をしている。」
といつも揶揄するくらい、朝から晩までテレビを見ているだけでした。
そんな祖母に対して、母は不満を漏らし始めたのです。
、、、、、、。
祖母は私生児として生まれました。
曽祖母は祖母に対して父無し子にしてしまった申し訳なさからか、祖母には何もさせなかったと聞きました。
曽祖母は働き者で魚の行商をしていましたが、祖母には働きに行かさず又家事もさせなかったそうです。
気性の激しい曽祖母の口癖は
「ウチのS(祖母)を使うなよ!」
だったそうで、同居していたおばさんに家事の全てをさせていたと言っていました。
だから祖母の若い頃は機織りを少しやっていた程度です。
人に何かをしてあげる事を殆どせず、おばさんに色々と指図していたそうです。
祖母の7人の子供の世話もおばさんがしていたというのを、当時を知る遠縁から昔聞きました。
そのおばさんが亡くなり、、、
家事は母が1人で担う事になりました。
私は母に家事を手伝うことを申し出ましたが、
「学生は勉強があるからせんで(しなくても)いい!」
と言われていました。
中卒の母は学歴にコンプレックスが有り、家事よりも勉強をする事を私や姉に求めていたのです。
(学歴コンプレックスと思わせたのは、母の履歴書だと知らずに何だろうと見ようとしたら凄い勢いで隠したり、母の出身高は何処という話になった時に幼稚園しか出てないといつも言っていた)
今ではそれに甘んじてしまった当時の私を反省していますが。
そんな訳で、家事も仕事もした上に待っていたのが従兄弟の子守でした。
名目上は祖母が面倒を見ているとなってますが、実際はそうではなかったのです。
続きます。
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