先日からお話ししていますが、ずっとずっと行きたかった長野県に行って来ました。
松本城を見たかったからです。
松本城は、、岡山城もそうですが黒漆で塗られいる外観から烏城と呼ばれています。
烏城は俗称で、公式な別名は深志城だそうです。かつての地名から、そう名付けられたそうです。
松本城に惹かれた理由は、現存する5重6階天守の中で日本最古の城で、、、
大天守、渡櫓、乾小天守、辰巳附櫓、月見櫓といった連結複合式の天守は国宝松本城だけだからです。
日本には国宝に指定されている城は5つ有ります。2年前に感動した姫路城、今回行った松本城、それに彦根城と犬山城と松江城です。
いつか制覇したいと思っています。
松本城は評判通り、本当に素晴らしかったです。
アルプスの冠雪が城の美しさを引き立たせてくれて、白い雪と黒い城のコントラストが本当に素晴らしかった。
更に、、
訪れた前日までは夜桜祭りが開催されていて、夜間城の一部を開放していたそうで、、、桜が本当に美しかったです。
日本名城5選だけあって、雨天にも関わらず入場者が多く15分くらい待ちました。既に多くの観光客が入場待ちをしていたのです。
ここは日本人の方が少なく、半分以上が外国人の方でした。
松本城の大天守は靴を脱いで入ります。脱いだ先にはいきなり立派な木製の階段が有り、それを登って行きます。
手すりは有りますが、結構な勾配と1段1段の高さが有ってお年寄りは大変そうでした。
階段をずっと6階まで登って行くのですが、4階と5階の間の階段が傾斜60度・40㎝の高さの階段で、、、
そこが渋滞していました。
4階は天井が高く、柱と柱の間が狭い為この構造になったと説明されていました。
狭い上に高齢者がスムーズに上がれず、先に上がった人から手を引っ張ってもらいながら、階段を登っていました。
その階段を降りる高齢者はもっと大変で、後ろ向きになって1段1段足を揃えながらゆっくりゆっくり降りていました。
その光景を見て、クリニックの院長が
松本城の中には無理だと思って入れなかった。
と言っていたのを思い出しました。
あー、これだったのだ、、、と。50代のうちに来れて良かった。やっぱり旅行は少しでも若い方が、じっくりと楽しめるなぁとしみじみ思いました。
中には沢山の展示物が有って、当時の事が色々と学べて良かったです。
なかでも1番感動したのは、松本城の近代史です。
明治時代になり、城郭破却という新政府の意向をうけて、多くの城は壊されていきました。
城を守る為に松本市民が資金を集めて城の落札者から天守を借り受け、県の協力も取り付けて博覧会を開催します。
天守は壮構な建物で高所からの展望は人々の心を開拡するからという、発起人の民権活動家・市川量造氏の思惑通り沢山の見物客で博覧会は大成功を納めました。
その収益で天守を買い戻し、取り壊しを回避出来たのです。
この松本城は松本市民によって助けられ、令和の世に移り変わってもその美しい姿を変わらずに見せてくれています。
その魅力に惹かれ松本城を見る為に、世界中からこの松本市に沢山の人が訪れて、、、沢山のお金を落としていきます。
それが松本市民の経済基盤になっていると言っても過言ではないと思います。
かつて市民に助けられた松本城。現在では松本城から松本市民は助けてもらっている様に思います。
松本城は市民の愛を受け取り、今度は松本城が沢山の愛を市民にかけて、共生している姿に本当に感動しました。
情けは人の為ならず。
市川氏のエピソードを知り、、、
私も自分自身を大切にしながら、利他の心で生きて行ける様に精進したいと思う事でした。
この美しい日本人の心や文化を次世代に繋げる事が出来る様に。
★応援して下さる方はよろしくお願いします。皆様も素敵なブログに出会えます様に!!


