母は祖母の事を、
「母ちゃんは子供が嫌いやった。」
と言っていましたが、、、
私はそうは思っていません。
祖母は絶対に、母の事を嫌いだと思ってなかったと思ってます。
祖母は亡くなって30年近くなるけど、、、
祖母なりの愛情を見てきたから。
祖母の愛情表現は、、、何と言っても味噌です。
祖母お手製の味噌を一斗缶で毎年送ってきてくれました。
味噌の中にはゴボウやニンジン、昆布を蒸したモノが入っていていました。漬け物です。
その他、オバも入ってました。クジラの尾びれです。
クジラの肉を薄く切り、熱湯をかけ水で晒し酢味噌で食べます。
私はパッと見、酢味噌で黄色くなったオバを炒り卵と勘違いして一口母にもらったけど、、私は期待した味ではなかったように記憶しています。
でも母は大好きだったのかな?1人で食べてました。夕飯に出る事は無かったので。
祖母は叔父・叔母・伯母にも、同じく送っていた様です。
毎年必ず送られてくる味噌。
幼ながらに
「おばあちゃん、やさしいなぁ。おばあちゃんの味噌、美味しいし嬉しい。」
と、楽しみにしたものでした。隙間にイモ飴を入れてくれてたりもしたので。
時々、5月の節句の時期に手作りちまきまで送ってくれたりしました。
その当時は味噌を作る過程など知らなかったけど、、、
母も一時期味噌を作っていたので、それがどんなに手間がかかるかを目の当たりにした時に、
「おばあちゃんは年だったのに、この作業を4斗も子供用にしてくれていたんだね。」
としみじみ思いました。
ちまきだってそう。手間暇かかります。
、、、、、。
味噌の他は、、、
コロッケ。
家族4人、月一で祖母宅に行っていました。
お墓参りにをしに。
その時に、祖母は沢山のご馳走を準備してくれていました。
心に残るのはコロッケ。惣菜屋で長年働いていた祖母。
そのレシピで作ってくれるコロッケはとびっきり美味しかった。
50個くらい作って、いつも30個くらい持たせてくれました。
私も夕飯にコロッケを作った事は有りますが、、あまりにも面倒なので数回作って以来作ってません。
それを、私や姉が喜ぶから毎月毎月沢山作って待っていてくれる、、、、
そんな人が子供(母)を嫌いだったのでしょうか?
私はそうは思えません。
きっと祖母なりの愛情表現だったのだと思います。
味噌やコロッケに祖母の想いを載せていたのだと。
その他、祖母の思い出は、、、
80歳までは朝晩、80歳過ぎてからは1日1回小高い山まで片道30分かけて墓参りを欠かさない人でした。
母は平坦地で近所の納骨堂に1ヶ月に1回も行かない時が有るくらいなのに。
アラカンになって思います。祖母の祖父をはじめとする御先祖様への気持ちの深さを。
祖母は口下手だったのかな?口では可愛いとか大好きとか言わないけど、、
それとも、、、母の幼少期にしてしまった心理的虐待と経済的虐待への罪滅ぼしかな。
祖母の行動を見て、私には祖母の想いは届いてました。
でも、、、母には届いてなかったみたいです。
母はストレートに言わないとわからない、人の心が全く読めない人だから。
私が母に尽くしてきた事より、口で大袈裟に「ありがとー!!」って言う姉を今でも可愛がっているから、、、そう思います。
そう思うと、母は可哀想。
自分を持ち上げてくれる人に踊らされて、本当に想っている人には気付けない。
気付いてないから、母は
「産んでくれんで良かったわ。」
なんて悲しい言葉が出るのだと思います。
母は不満だらけの中、生きているのです。
続きます。
応援して下さる方はよろしくお願いします。皆様も素敵なブログに出会えます様に!!