私と母の関係性は、、もう何年も前にお話しました。
私は搾取子で姉は愛玩子。
多分これは一生変わらないと思います。これから先も。
このブログをサボっている間に、本当に色んな事が有りました。
母と姉、姉に付随して可愛がっていた甥を含めて、沢山の事の中で沢山泣きました。
その中で私は悟りました。
人生56年、最大の気付きであり最大の学びでした。
家族は1番身近な1番小さな社会。たとえ家族の中でも無防備であってはならない。
ということです。
私は幼少期から、私なりに家族に向き合って来ました。
何でも母の言いなりになっていた姉と違って。
家族を思っていたからこそ、厳しい事も言ってきました。
でも、、それは誰にも響いてなかったことに気付かされました。
更に、、
母には国内旅行から海外旅行まで招待したり、温泉や食事も沢山奢ったし、バックや靴や洋服を買ってあげました。
姉には色々相談されたら向き合ってきたし、、甥の運動会のお弁当まで作らされました。(母からの圧力で。姉からの強要ではないです。姉は運動会のお弁当を1度も作った事は無い。)
甥の世話は母に丸投げだったので、私が車を出して甥のイベントを母と見守ってきました。
父には、、、病院や手術付き添いから、自宅での看取りを私がしました。
でもね、母も姉も「それだけのこと」であって母からは全否定されてきました。
向き合った際の苦言や助言は激しく否定され、罵られてばかりでした。
随分後になって「なすりんの言う通りやった」という件も有りましたが、、これも「それだけのこと」です。それが全てにリンクしないのです。
母は姉の事が可愛く、姉も母に上手に甘えるし、構造は何ら変わっていません。
姉は自分のしたい事だけやってきましたが、それを母からは支持され絶賛されてきました。
母から姉妹間格差という虐待を受けていても、姉も父も私をかばってはくれませんでした。
私は、、、
家族だったら向き合うのは当たり前で、
厳しい事を言って一時的に険悪なムードになっても、いつかはわかってもらえる、、、言う方が疲れるし面倒くさいけど、家族なればこそ言わなくては。家族は大事だし大好きだから。
そう思ってました。
でもね、どうやらそうではないようです。わかってくれる日は来なかったです。父、母、姉には。
姉のしたたかな立ち振る舞いに気付き、父、母、姉に対して、どう動けば私に対して辛い扱いをしないかを考えて動けば良かった。私は有る意味無防備だったのだと気付かされました。
私は母からずっと言われてきました。
可愛げが無いだのらしさ(子供らしさ、女らしさなど)が無いだの、感謝が足りないなど。
感謝しているから、気持ちを形に変えている事など全く通じてませんでした。
姉の半生を鑑みると、母や父からどうしたら好かれるかを把握してそれに基づいて動いていた事に気付いたのです。
姉は父や母に対しては絶対に苦言は言いませんでした。きっと私が言う事を期待し、又私が期待通りに動くからです。
父や祖母の世話は全くしていないのに、口が上手いのであたかも姉もそれに参加しているような錯覚を周囲に与える。
姉に不都合な事が有ったら、知らなかった・覚えてない・そうなんだという常套句か黙り込む。
ある意味、すごい才能だと思います。
ずっとそばに居たのに、それに気付いたのは最近でした。
加えて、私は四面楚歌の中で生きていた事に気付かされました。誰も私に寄り添ってくれてなかった。
私も母父姉に愛されたかった。母父姉と信頼関係で結ばれたかった。
でも、もう無理なんだと受け入れられました。
私には私を大事に思ってくれる家族がいるだけで十分です。なすおやじ、なす子、なす太郎とは信頼関係で結ばれているので。
子供達が自立した今、私は自分自身が1番大事です。
私はこれ以上傷つきたくないから、傷付く結果になりそうな事から避けて生きて行きます。
たとえ親姉妹であっても無防備にならず、自分がストレスを感じない立ち振る舞いをしていくつもりです。
親姉妹間でそんな事を考えるのは寂しいですが、親姉妹といっても色んな環境や関係性が有るのでしょうがないと思います。
なすおやじ、なす子、なす太郎にも、助言や苦言はよくよく考えて言葉を選んで伝えていきたいと思います。たとえ家族であっても。
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