昨日の続きです。
母の嫌いな人、エントリーNo.3は父です。笑。
今まで少し触れた事が有りましましたが、、
母は
お父さんの事は嫌いやった
と最近も言ってました。
回顧する時に、必ず出る言葉です。
お父さんは大阪ではいい人やったのに、こっち(九州)に帰って来てからはずっと嫌いやった
母の口癖は、「お父さんは大阪では良い人だったのに」でした。
その言葉を聞き始めたのは、私が高校生の時です。
私は思いました。
いやいや、父さんは変わってないよ。
ただ向き合わないといけない問題が、大阪では発生しなかっただけの話なんじゃない?
父さんの本質が露わになっただけなんじゃないの?
と、何度か母に言った事が有ります。
その度に、
なすりんは子供やからわからへんのや。親(母)に向かって口答えして!
と逆ギレされました。
今思い出すと、、、これも母にとっては余計な一言で、、
ほんま、なすりんは可愛げ無いわ、、、なんて陰で(姉と)ボヤいている母の姿が容易に想像出来ます。
本当に私は、、、家族に対して要領が悪かったなー。
姉みたいに、もっと母を持ち上げてたら、、虐待の度合いが軽減されたかもしれないに。笑。
話が脱線しました。
、、、、、。
母の、、、、
父への気持ちの変化の理由は、向き合ってくれない事への苛立ちが積もり積もってしまったからです。
話が変わりますが、、、
母は大阪で立正佼成会に入信していました。
私が小学生の頃の約2年間くらいかな?
お金が続かなくなった所に祖母(父方)と同居の為引っ越しが、退会への渡りに船となりました。
お金が続かなかったのはお布施もそうですが、布教活動の雑誌を割り当てられたのが原因です。
立正佼成会の雑誌が山の様に積まれているのを見て、私は母に聞きました。
「これ、何?」
と。そうすると、
「大人の本」
と言ってましたが、、、
母は布教活動を全くしていなかったので、雑誌を買い取っていたのだと思います。
その事を随分後になって愚痴ってましたが、
家長を敬う、家長を何でも1番にする、という教えだけは良かった
と言っていました。
そんな訳でやたら父を持ち上げて、大切にしていました。
だから、、、
祖母と同居するにあたり、祖母や叔父叔母も父と母を敬ってくれると思っていたのだと思います。
祖母と同居が始まったのは私が中学生の頃。
当初は祖母や親戚達と上手くいっていたと思います。
でも、月日が経つにつれて、関係はぎこちなくなっていくのを、子供の私が見てもわかるくらいになりました。
溝は深まるばかりで、母が思い描いた形にはならず、、、、
私は始めからこんなんじゃなかった。
と、いつしか父を責めるようになりました。
こうなったのは、父に原因が有るからだと言い張るのです。
続きます。
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