昨日も書きましたが、姉は私と同じカテゴリーでブログを書いています。
ブログを読んでいて、またもや違和感を感じてしまいました。
先日アップされた「ゴミ拾い」について書かれていた記事に。
姉は朝、散歩をするのが日課で、その時にゴミ拾いをしているというのは、以前ブログで読みました。
ゴミ拾いで心が浄化されて、神様に愛されてると思うのだそう。
母と姉は色んな意味で似ている部分が有ります。ゴミ拾いも然り。
ゴミ拾いも立派なボランティア。
私はそんなボランティアをしていないので、その事自体は素晴らしいと思います。
無垢な気持ちで作業するならば。
でも、、、
姉からはそんなオーラを感じる事が出来ません。
誰か、この私の善行を賞賛して!!
という気持ちが、姉のブログから滲み出ているからです。
そのブログ記事の要旨は、、、
しばらく散歩をしていなかったので、ゴミが沢山溜まっていた。(散歩の帰り道でゴミを拾っている)
誰も見ていなくても、拾うことで、こころが浄化されていく。
です。
私が違和感が有ったのは2箇所。
ゴミが沢山溜まっていたという所と誰も見ていなくてもという所。
ゴミが溜まっている=私以外誰もしてない
誰が見ていなくても=誰かに見て欲しい
と聞こえるのです。
あ。
私、捻くれてますか?汗。
、、、、、、。
母もゴミ拾いしてますが、、、
母からは姉の様なオーラを全く感じません。
誰か見て欲しいっていうのではなく、、、
ゴミ拾いしている時に、人や犬(犬の散歩を早朝からしている人がいる)と話したり戯れたい。
そんな気持ちしか滲みでていません。
気持ちいいし、掃除していたら誰かと喋れるかも、、、という気持ちは溢れています。笑。
実際、私もヨガスタジオに通う前は早朝ウォーキングをしていて、、、
ウォーキングで出会った人で世間話をしていた人がいたのですが、、、
母も知り合いでした。笑。
その人は私と母が親子だと知って、びっくりしていました。笑。
その人もおしゃべり好きな方で、会ってしまうと立ち話30分くらいしてしまいます。笑。
母は寂しく一人暮らしをしているので、会話に飢えていると思われるので、、、
とてもいい顔で会話していました。
挨拶おばさんの時に見せる、あのいい笑顔。
一方姉は、、、
誰も見ていなくても
って言っていますが、、、
本当は見てほしいのだと私は思います。
「見てくれる人がいるからゴミ拾いをしている」という気持ちが、「純粋にボランティアをしたい」という気持ちを、はるかに凌駕している様に見えるのです。
純粋にボランティアをしたいと思っているならば、誰も見ていなくてもなんて考えも及ばないからです。
ボランティアは心が動いているだけで、やりたいからやる。それ以上でもそれ以下でもないと思います。
だから、、、そこに美しいボランティアの心が見えるから尊敬できるのだと思うのです。
姉の以前のブログに、ゴミ拾いをしている時に自分を拝んで「ありがとう」と言ってくれた人がいたと、嬉々として書いてましたが、、、
自分を拝んでくれたって、、例え日記ブログでも、、普通は書けないと思います。
みんなが読むのに、自慢に聞こえるし、、、恥ずかしい。
それらの事を鑑みると、、、
本当は誰かに見てほしい、、、そんな姉の下心に嫌でも気付かされてしまうのです。
、、、、、、。
勿論、
ゴミ拾いは地球に優しいし、、、
私はというと、ゴミを拾う活動をしているわけではありません。
誰もがしている様な事だけです。
気づいたら拾ってゴミステーションに持って行ったり、、、
無造作に捨てられているゴミステーションのゴミを整え、カラス対策の網を全体にかける程度しかしていないので、、
何かを言える立場ではないのかもしれませんが、、、
誰も見ていなくても、、という姉の本心を神様は見ていると思う事でした。
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